2004年07月03日

松浦寿輝「表象と倒錯 エティエンヌ=ジュール・マレー」

修理の待ち時間に、置いてあった雑誌

「愛魚情報誌 フィッシュマガジン 1995年8月号」

を見ていたら、アロアナの“採仔風景”特集があった。
採仔て何だー?
と思ったけど、

とりあえずせっかくなので、簡単に描き写してきた。

アロアナ2

口に小魚がいっぱい入ってます。そいで、口からどんどん出てきます。
小魚は身重(みおも)、ではなくて、腹にイクラがくっついてます。
イクラを烈しくしたイクラ。いかにも栄養タップリ。


アロアナ1

まぁ 雑誌を見りゃわかるんだけど、
(↑の絵、何描いてあるのかわからんね…。)
口で子どもを育てておる。
間違えて食べちゃったりしないのかな。
あっ、アカチャンたべてもた!て。


「採仔の風景」
―このくらいまで成長した稚魚は、主体性を持って遊泳できるので、安全な親魚の口腔周辺から離れようとしない。―


こんな小っさい魚が口からどんどん出てくる瞬間、生で見る機会はあまりないし、またこの出てくる瞬間―魚が散らばる不思議な運動の瞬間は、瞬間であるから肉眼でその構図をきっちりとは捉えられない。そういう様子って、どうなっているか確かに気になるし、捉えられないからこそ捉えたくなる魅力がある。捉えられないそれを、切り取って、保存したいとも思う。


そんなこんなで
「表象と倒錯」を読みました。
表象と倒錯

リュミエール兄弟が映画(シネマトグラフィー)の祖なんだよ、イヤ正確には違うんだよ…というおしゃべりにおいて、
口端に上るかか上らないかの存在であるエティエンヌ=ジュール・マレー。彼はシネマとグラフィーに対して、クロノフォトグラフィーを発明した。
それは、動物(特に馬のギャロップ、そして鳥の飛翔)の運動の様子を、正確に記録しようとしたもの。結局それ以上でもそれ以下でもない。
確かに、ギャロップする足4本の関係性、飛翔の際の羽根の運動具合…は、スピードが早すぎて肉眼で捉えることは非常に困難だ。馬の走行する様子を絵を描こうも、その足をどう描いてよいのかと途方にくれるのはわかる。それを、あくまでも科学の見地から正確に写し取ろうと、いや移し取ろうとしたマレー。
循環系の生理学者でありながら、彼の興味は動物の皮下組織の構成に向かうことなく、あくまでもその表面、空気と血肉との境界の様子を正確に捉えることにだけ躍起になったマレー。

科学が余りにも彼を追い越し過ぎ、彼の業績自体は茶番にも映ってしまう現在、
しかし猶、彼の残した実験結果、成果物は人を引きつけてやまない。それはやはり、写真自体の審美性、芸術の領域に組み込むという勝手な視座を避けることはできない(この点は著者の主張に反するが)し、そしてここで論じられている“倒錯”の、落ち着き場の無さ が突きつける何かが気になって仕方がない。

一つ言えるのは、ここで導かれた“表象”と“倒錯”についての論考は、単なる一人の男のほとんど恣意的とも言える欲望がもたらしたということ。そしてこの“表象”の問題に対して、一生を費やせるだけの自信、思い込み、情熱には、こころから敬服する。アロアナ万歳。


posted by ちゆ at 03:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 読んだもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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